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告理夢

その対をなすところの明晰夢が一般に広く知られているにもかかわらず、告理夢の存在を知る者はわずかしかいない。
そこで私は端くれながらも神経睡眠学徒の一員として告理夢の浸透を企図し、告理夢とは何なのか、告理夢を見るためには何をすべきかを説明し、実際に私が見た告理夢を一事例として紹介しよう。

概要

告理夢の存在が明晰夢と比べて知られていないのはどうしてだろうか。
神経睡眠学的観点では明晰夢と告理夢というふたつの特別な夢は、主観的な経験よりも夢を見ているときの脳の活動部位の違いによって特徴づけられる。そのため、脳組織中のヘモグロビン濃度を観測する神経睡眠学者が、彼はいま告理夢を見ていると判断できていたとしても、夢を見る当人は常日頃から見る夢とそれとを確実に区別できるとは限らない。さらに、自らの感情、意思が夢の中に反映される明晰夢とは対照的に、告理夢のなかでの経験は没我的になるのが特徴であるためあまり記憶に残りにくい。
そうだとすると告理夢のこの知名度の低さにも納得がいくだろう。

では、告理夢とは一体なんなのか。先ほど軽く触れた脳の活動部位と夢の関係についてもう少し掘り下げながら明らかにしていこう。
まずは、遠回りになるのだが、比較的納得がいきやすいであろう明晰夢から説明させていただきたい。
明晰夢とは、神経睡眠学では、大脳辺縁系の活動が通常に比べて活発になっているときに見る夢のことである。大脳辺縁系は大脳基底核を取り囲むように位置する複数の部位の総称であり、情動の表出や意欲に深く関わっている。そのため、夢を見る際に大脳辺縁系が活発になると、自らの感情、意思が夢の中だとしても強く印象に残り、時には自分の意思で夢の内容を思うがままに変えることができる状態になることもある。(明晰夢を見て空を自由に飛んだだとか美女をはべらせただとかいう話を聞いたことがある人も多いだろう。)このように、見る夢の内容は睡眠時の脳の活動部位と密接に関係していることが明らかにされている。

告理夢は明晰夢と対照的である。即ち、明晰夢が情動や意思に関わる脳の部位が活発化したときに見る夢であるのに対し、告理夢は、合理的で分析的な思考を司る大脳新皮質が活発になっているときに見る夢のことをいう。大脳新皮質とは大脳基底核を取り囲む大脳辺縁系のさらに外側、大脳の表面を占める脳の部位であり、推論や言語的活動などの抽象的な思考のときによくはたらく。この大脳新皮質が活発になることによる夢への影響は、大きく分けて二つある。
一つ目は夢の中での自我の埋没である。夢の中に自分が出てきて、歩いたり誰かと話したりすることはあるのだが、その際の自分の感覚や思考というものは一切経験としてあらわれない。決められたプロット通りに動いているだけ、といった状態になる。先ほども述べたが、これが告理夢を起床後の印象に残らないようにしている主な原因だ。
興味深いのは二つ目の特徴である。それは、告理夢の内容は、現実世界に対する無意識的な推論を反映する、というものである。大脳新皮質は合理的、分析的な思考を担う部位だが、この思考には意識の中で表出した言語的なものの他に、内言化以前の無意識的なものも含まれる。告理夢を見る際にはそのような無意識的な分析が、いわば掘り起こされる。このことは告理夢に意義を与えると言えるだろう。それは、告理夢によって、今まで意識レベルにまで浮かんでこなかった法則や教訓の発見、さらには無意識下での推論の結果としての予測ができるからだ。よく予知夢という言葉を聞くと思うし見たことがある人もいるだろうが、最近ではその多くは一種の告理夢だとされている。
予知夢などといった形で無意識のうちに蓄積した知恵を与えてくれる告理夢に、皆様方も興味が湧いてきたのではないだろうか。そこで次に、告理夢を見るためにはどうすればよいか、私なりの方法をお伝えして、実際に皆様に告理夢を見ていただこう。

告理夢の見方

今まで告理夢とは大脳新皮質がどうだとか内言化以前の無意識的な思考がどうだとうんちくじみたことを言ってしまったので、告理夢を見ることもきっと難しいのだろう、と思う方もおられるだろうが、実はそんなことはない。どうしても自分の専門分野のことになると熱が入って次から次へと小難しい用語をまくしたて門外漢を恐縮させてしまうのは研究生の悪いところだと痛感する。告理夢というのは簡単に言ってしまえば無意識下での発見を教えてくれる夢であり、そのような夢を見やすくするための専門的なトレーニングなどは必要ないので安心してほしい。道具として必要なのも風船とビニールひもとテープくらいである。どれも百均で手に入るようなものなので、まずはこれらのものを用意してほしい。

ここから先で私が告理夢を見る前に実践しているルーティーンを紹介していく。
まずはこの儀式の過程で必要な精神状態を作ることから始める。瞑想、というと大げさだが、深い呼吸をはじめ、ある程度の気分の鎮静を自覚したら、目をつむる。
そして、これは少々難しく聞こえるのだが、自身の感覚すべてが口内に集まることをイメージする。つまり今あなたは自分の口の中に入っている時と何ら変わりのないことを感じ、思う必要がある。(このときに無限を認識すると気が散る。すなわち、自分の口内に自分、その口内にも自分...と考えると邪魔になる。)
それは暗い鍾乳石の洞窟であり、見えはしないが足元には水がたまっているようだ。どこからか生ぬるい風が吹いている―――。おそらくこのような体験になるだろう。私はこのステップでいつも舌で上の歯をゆっくり撫でると同時に、手で本棚を一列なぞるという動作をする。(目をつむる前に本棚の近くに移動しておく必要がある。)こういった実践でみずからの意識が口内に集まったのを感じたら次のステップに進む。ここから先は簡単だ。
口内に意識をとどめたまま先ほど用意していただいた風船を持ち、息を吹き込むと同時に口内への集中を解く。こうすると自我というものが手中の風船の中に閉じ込められて、自分は虚ろになったように感じる。風船を膨らまし終えたら口の部分にひもを通して結び、その紐の他端は天井にテープでとめる。
これで準備は終了。あとは眠りにつくだけである。このルーティーンにより、私の体感だと最初のうちは4割、慣れてくると7割くらいの確率で告理夢を見ることができる。

事例

告理夢とは無意識下での発見を教えてくれる夢である、とはいってもその雰囲気は掴みづらいだろう。そこで私がつけている神経睡眠学のノートからひとつ、実際に見た告理夢の内容を抜粋しよう。以下がその内容である...

3月13日(土) 午後11時07分


いつものルーティーンに入る。深く呼吸し、目を閉じ、マウス・イメージングを行う。

風船を膨らませる。

ひもをくくりつけ、天井に吊るす。

午後11時22分、就寝。アプリケーションの計測によると、午後11時40分、入眠。


翌朝の午前7時24分起床。以下、起床後すぐの告理夢のメモ。

曇り、高円寺か阿佐ヶ谷か、その近辺の商店街を歩いている。(時刻は分からないが午後だった気がする。)
前方のシャッターの閉まった海苔屋の向いに丸太で作られた柵がつくられており、わらが敷き詰められているのを見つける。
正面まで行ってトタンで作られた屋根壁が光を通さない小屋の中をのぞくと、模様が無く鉱石のように暗い緑色をした大蛇がいる。
首をもたげていたため牛や馬と同じ程の背丈に見え、長さで言うと5~6mはあっただろう。少し立ち止まって蛇を見ていると、どうやらあちら側もそれに気づいたようで、「君は買いに来たんじゃなさそうだ」と話しかけてくる。
米粒のように縦長の瞳でじろじろと私を見ながら深く裂け目の入った口からちろちろと出す赤い舌に札状のものがぶら下がっているのを見つける。どうやらそれはよく牛の耳などに付いている管理用タグのようであり、判読はできなかったが数字が書かれているようだ。

蛇はこう続ける。「蛇の卵なんて何がいいんだろうね、茹でても焼いても臭みが強くって、おまけに固まりにくくてどろどろなんだから」
蛇の小屋の左隣を見るとそこには商店街の雰囲気に似合わぬ今風のデザインの店舗が出されていて、その店舗と蛇の小屋の屋根にまたがる形で「ヘビのタマゴの店 snegg」と書かれた看板がある。胸くらいの高さに小さめのショーケースが置いてあり、どうやらこの蛇の卵を販売しているらしい。看板の中ではコック帽のヘビのイラストがフライパンで目玉焼きを作りながら楽しそうな笑みをこちらに投げかけてくる。
「流行り流行りっていって、そんなに流行りが美味いのかね。カエルの卵の次はヘビの卵っていってさ...」蛇は向かいの海苔屋を見ながらひとりごとのように話していたが、こちらに向き直り、皮肉めいた口調で続ける。 「ま、でも、そいつらと同じところに生まれてそいつらと生きるよりかは、そいつらに食べられたほうがいいのかもね。生まれてこないほうがそいつも喜ぶっていうこと。反出生主義っていうんだけどね、いや、分かるかな」 看板のヘビとは似つかないインケンな笑みを浮かべながらちろっと出す舌のタグに、「H130620」の刻印が今度ははっきりと認められた。
「ほんとうに、こんな悲惨なところに囚われるって知ってたら、生まれてはこなかったよ!」話は終わりだと言うかのように、緑黒い鱗をてらてらと光らせながら、巨躯をくねらせて小屋の闇の中へ消えていく。闇の中から声がする。「でもね、約束したんだよ。出してくれるって。あと999個の卵をやったら、ってね。馬鹿だと思う?信じてるんだよ」


ここで目覚める。何となく思い当たるところはあるので、告理夢であると思う。